2017年11月4日土曜日



1 件のコメント:


  1. 私は以前にニュームの暗闇について、
    「そこはどこまでも豊かで、どこまでも残酷な場所」だと書きましたが、
    そこで言わんとしていることはこの暗闇には出口など存在しないということでした。
    つまり、この暗闇こそが生きている場所のベースなのだと言うことです。
    その思いは今も変わっていませんが、
    出口がないわけでもないとも思っているのです。
    言っていることが明らかに矛盾していますが、
    これはどういうことかというと、
    出口を探している限りは出口はないのではないかと思えるからなのです。
    出口を探さないことが出口を見つけることになる、
    さらに言えば今いる場所を完全に受け入れること。
    「出口なんかない」
    ということに気が付くことだけが
    その場所を変質させるのではないかと思っているのです。
    それは例えば、以前Naさんが書かれていた、
    「病んだ世界を受け入れて生きていく」
    という事とも違う選択なのではないかと思うのです。
    「病んだ世界を受け入れて生きていく」というのは
    あくまでも現状を受け入れることであって、
    「今いる場所を変質させる(あくまでも自分において)」
    という事とは次元の異なる事だと考えています。
    これをさらに言い換えると、
    「病んだ世界など存在しない」
    「誰も病んでなどいない」
    ということになるのですが、ちょっとわかりにくいかもしれないですね。
    流行りの言葉で言えばパラダイムシフトという事になるのですが、
    そんな風に言っちゃ身も蓋もありません。

    ガラージュの世界において「病んでいる」ということは、
    「病んでいるように思える自分自身を投影している」
    ということであって、決して「他者」が病んでいるわけではないのです。
    (ここで「病んでいる」という言葉を「傷ついている」という言葉や「閉じている」
    という言葉に置き換えても意味は同じです)
    「病んでいる」のはあくまでも自分であって「他者」が病んでいるわけではない。
    これはおそらくガラージュのシナリオにおけるテーマであると思います。
    自分を「病んでいる」と思っている「自分」から離脱すること。
    それこそがガラージュの世界を終わらせる意味だと思うのです。
    だからこそガラージュの世界は、
    自分が納得できるまでその場所に居続ける必要があるのです。

    自分の意志によって「病み続ける」事は必要なことです。
    何故なら人には依存の投影としての「病気」願望が根強くあるからです。
    それが自分の望んだ依存に過ぎないということを認識するためには、
    十分に「依存」を堪能する必要があるのです。
    「依存」を堪能するということは、「弱さを受け入れる」事に必然的に繋がるし、
    さらに、「弱さを受け入れる」ということは、
    「今自分は弱い自分として逃げようがなくここにいるのだ」という事であり、
    その脆くもあり、全てが起こりうる場所にしかリアリティはなく、
    そこからしか何も始まらないし、
    最初からそこにいたんだと思えることこそが、
    スタート地点に立つことなのだと思っているのです。

    スタート地点に立つこと。
    これが始まりであり、全てです。
    ガラージュにおいては
    スタート地点を「表現」することが目標であったように思えます。

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